結婚の祝辞
結婚の祝辞

ほめことばは率直に

ほめことばは率直に

昔ふうの美辞麗句は、かえって聞いでいるほうで本気にしない。ほめことばは率直がいい。ユーモァがあって、だれで電共感をよぶもの、ときには小さい欠点をあげて、それが大きな長所でもあるーというふうに話すのは気がきいている。話す場所ぶあくまでもお祝いの席であることを忘れないこと。

立場によって違う祝辞

新郎新婦と自分との関係によって、話す内容も違う。社長、上役ならば、社員としての勤務ぶり、将来への期待などを話して祝辞とし、同僚友人ならば、学校時代の思い出、ときには失敗のエピソードなども織り込んで、その人間性のよさを賛える。先輩ならば結婚の体験をまじえて、ユーモアたっぷりに座をにぎやかすi掛祝いの席とて、あまり教訓じみたことや(目上ならまだしも、目下の者がいうのは非礼)むずかしい理屈などいわぬこと。

祝辞は短く要領よく

五分以上はお祝いになえかはしけいぞうらぬと、高橋圭三アナウンサーは言、っています。自分の自慢話はおかしいが、また親しさに慣わて、場所がらもわきまえず、「新婦S子さんは学校時代カンニングの名人でー」などと、お歴々の並ぶ席上で言って、両親の顔色を変えさした例がありましたし、ある職場結婚の入のとき、「H子さんはなかなかがめつくて、ワリカンでなくては絶対にお茶を飲まなかったから、きっと家計竜がっちりとー」などと、愛嬌のつもりが、度を越すと、その場のふんいきをこわすことぶありますからほどほどに。短く要領よくいうことがたいせつです。

感動した祝辞

湯浅清子夫人は、「キリスト教界の大先輩の渡辺善太先生のある席上での祝辞ですが、私はもう結婚五十年余になる。妻は東北生まれだが、私は東京生まれ。二人でよく夫婦ゲンカをします。ズウズウ弁と江戸っ子弁で。人を愛するということは、一目あっただけでできることではありません。他人を真に理解することは、五十年でもできないことかも知れません。

人間を理解するうえに、ケンカも役に立ちます。しかしケンカもよいが、決して翌日まで持ち越してはいけません。私たちもその場限り。ケンカをしいしい、仲直りをしいしい、よい夫婦渉でき上ぶってゆくものなのです。さすが渡辺先生と感動しましたと言われました。

作家中村武志氏は、自分の祝辞で恐縮ですがと前置きをして、「神さまは別として、人間の愛情というものには限度があります。それを感情のおもむくままに、たいせつな愛情を浪費すべきではないと思います。仮りに人間一生の愛情を100トンといたします。
そういたしますと、ある夫婦が五十年の金婚式を迎えるまでには、一年あたりそれぞれ平均2トンの愛情しか消費できない勘定になります。

恋愛時代うあるいは新婚時代に、年平均2トンの愛情ですませるのは、多少無理かと思われますが、せめて来たるべき倦怠期のために、たくわえておいたほうが賢明ではないかと考えるのでございます。ところが、わが中村家では、新婚の最初の一年間に、両人とも思慮分別を失って、お互いに20トン位のの愛情を浪費してしまったようで・・・、どうか賢明なる新郎新婦には、こんな先輩の祝辞も共感を呼びましょう。次に二つの実例をご紹介します。